■ 現代版アリとキリギリス2014.5.23

「アリ型」日本人は、変化に対応できない
8時00分配信 東洋経済オンライン



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「アリ型」日本人は、変化に対応できない
「問題解決型」のアリの思考から「問題発見型」のキリギリスの思考へと発想をジャンプさせるためにはどうしたらいいか。思考回路を転回する際の「3つの視点の違い」のうち、今回は2つめの「閉じた系」と「開いた系」との違いについて解説する。
 過去の記事はコチラから。

 第1回 アリの思考 vs. キリギリスの思考

 第2回 アリ型よりキリギリス型が成功する時代

■ 「閉じた系」と「開いた系」

 「閉じた系」と「開いた系」の違いをアリとキリギリスのイメージに関連づけると、「巣を中心に活動するアリ」と「巣を持たないキリギリス」との違いと言える。問題解決で言えば、「枠の中で考える」のが「閉じた系」の思考であり、枠を取っ払って考えるのが「開いた系」の思考ということになる。

 「『閉じた系』で考える」ときの思考回路には2つの特徴がある。「観察対象に『線』を引く」ことと、「内と外がある」ということで、思考が内向きに向かっている。一方、「『開いた系』で考える」ときは線を引かず、内と外を区別せず、つねに外に向かって考える。

 「閉じた系」と「開いた系」の思考回路の違いを下図に示す。

 ここでの「線を引く」の意味を解説しよう。アリが線を引いて考えるのに対して、キリギリスは線を引かずに考える。下の図は、アリとキリギリスの思考の違いのイメージを示している。

 2番目の図の下のほうが個々の人間の解釈を含まない具体的な「事実」そのもので、アリとキリギリスではその解釈が異なっている。アリは「事実」に何らかの線引きをして、「内と外」を明確に区別して認識するのに対して、キリギリスは「事実」に線引きをせずに、ありのままのものとしてとらえるのである。アリのものの見方は(0か1の2値的に見るという点で)デジタル的であり、キリギリスのものの見方は(連続的な変化で見るという点で)アナログ的ということもできる。


 観察対象に線を引くことの例を挙げる。

 ひとつ目は「常識」と「非常識」という区別である。アリは自らの共有する価値観に合致する事象を「常識」として肯定し、その外側の事象を「非常識」として否定的に判断する。これに対してキリギリスはすべての事象を連続的な変化としてとらえるために常識と非常識を明確に区別して考えることはしない。

 たとえば自分が理解できない新しい世代の行動にどう反応するか。アリはそれを「非常識だ」と判断して、その行動を改めさせて「常識の世界の内側」に持って来ようとするか、あるいはその行動を否定して拒絶するかの二者択一の判断をする。一方、キリギリスは「そういう傾向の人が増えてきている」という事象の変化を淡々ととらえて否定も肯定もしない。キリギリスの辞書には「常識」も「非常識」もないのである。

 また「業界」や「組織」という線引きも例として挙げることができる。アリにとってはビジネスにおける企業や個人の活動が「どこの業界や組織の活動なのか」が重要である。業界ごとに担当部門が異なるような組織で活動している場合に、「それはどの部門の担当なのか? 」が明確に定義されなければアリは行動できない。
これに対してキリギリスは良くも悪くもフレキシブルである。どこの業界か明確に定義できない顧客であれば、まずはその顧客の特性を見極めたうえで、必要であれば「線を引き直す」(組織を再定義する)ことをいとわないのである。

■ 線を引かなければ問題は解けない

 見方を変えると、実は「線を引く」のは問題の定義そのもので、私たちが何らかの問題を解くときには、必ず明確にその問題を定義してからでないと先に進めない。たとえば「プロジェクト」という形で問題を解決する場合にも必要なのは範囲(スコープ)を明確に定義することである。範囲が不明確なプロジェクトは必ず失敗する。目的やリソース、スケジュールといった形でやるべきことのすべてを明確に「線引き」する必要がある。

 「新しい会社を作る」ときも同様である。会社という組織を定義し、どこまでが組織の中で、どこからが外側かを明確に定義する。そうすることでその組織のミッションや役割が明確になり、それによってその会社が解決すべき問題に取り組めるようになる。

 つまり、問題というものは、基本的には何らかの「線引き」をしてひとつの系を定義しないと解くことができない。したがって、問題解決をするために「線を引く」のは十分理にかなっている。また「決められた問題を解く」ためには、引かれた線を所与のものとして固定して考える必要がある。これが「問題解決者としてのアリ」の思考回路となる。つまり「閉じた系」で考えることはアリにとっては必須条件なのである。

 規則やルールも「線を引く」ことの別の例である。組織や社会を統治し、管理する(という問題解決の)ためにもこの「線を引く」という行為は必須である。「巣を持つ」アリにとっては、規則やルールにのっとって物事を進めることは基本中の基本であり、きわめて理にかなった行動と言える。


■ 線を引くことで次の問題が生まれる

 ところがここに根本的なジレンマがある。「問題を解くために引いた線」がまさに「次の問題を引き起こす」のである。それは先に述べたように、ある目的のために概念上引いた線が固定化してしまって、実態の変化と乖離していくことがあるからである。

 本来「どこに線を引くべきか」は時間の経過によるさまざまな変化によってフレキシブルに変えるべきなのに、一度引かれてしまった線は固定的に考えられがちで、そこに実態との乖離が生じるのである。

 先の「業界」や「組織」、あるいは「製品カテゴリー」などというのが企業活動における例である。これらが時間の経過とともに実態と乖離しているのに、本来は問題を解決するために引かれたこれらの線が固定化して独り歩きすることになる。そうなると「これはどの組織が担当すべきか」とか「これはどの製品カテゴリーの話なのか」という話が先にくるという、本末転倒の話になってしまうのである。

 一般に「閉じた系」である閉鎖的な組織は、外乱が少なく「一丸となった」行動も取りやすいために問題解決の手段としては優れていて、急成長をもたらすことも多い。しかし、これがある時点を超えると、むしろ「新しい変化に対応ができない」という形で急速に「時代遅れ」になっていくのである。

 このように、あくまでも便宜上定義したはずの「線」に縛られて、顧客ニーズの変化や技術的なイノベーションによってもたらされる変化との乖離が大きくなっていく。ここに「次の新たな問題」が発生するのである。まさに「線引きのジレンマ」と言える。

 「線を固定化して考える」アリにとっては、この矛盾を見つけることは非常に難しい。ところが線を引かずに物事を観察するキリギリスはこの矛盾に気づき、「線を引き直す」ことの必要性を発見できるのだ。

 たとえば言葉遣いで言えば、「正しい日本語」に固執するのがアリの発想である。言語というものは時代とともにリアルタイムで変化していくものであるが、アリは「文法」や「語法」という「正しい日本語」の線引きを固定的に考える。多くの人が言葉遣いを変えても「正しいのはこの読み方だ」と、文法ありきで考えるのである。

 対してキリギリスは、どこまでが正しいとか間違っているという発想はしない。「20%の人が使っている言葉だ」とか「最近こういう話し方をする人が増えてきている」という形で、事実をありのままに連続的に把握する。そこに「線」を持ち込まないから、変化に対して敏感であるとともに変化に柔軟に対応し、アリの引いた線の矛盾にすぐに気づくのである。


■ 巣があるからアリは「内向き」になる

 アリの「閉じた系」の思考の特徴として、「線を引く」ことに加えて「内と外がある」ことがある。要は自分のいる側といない側を明確に区別するということだ。巣があるために、アリは内側を守ることにエネルギーを費やすことになる。

 前回述べたストック型の「持つ者の発想」と併せて、アリはつねに組織の論理で動く。要は線を引いた「向こう側」と「こちら側」とを比較すると、つねに「こちら側」を中心に物事を考え、「向こう側」は否定し、排除し、規制するという思考回路になるのである。

 これに対してキリギリスには「巣」がないから、そこに何らかの予断を持って物事を見ることをしない。「どちらに肩入れする、しない」という問題ではなく、まずは中立的な観察から始まるのがキリギリスのスタンスである。

■ アリとキリギリスの行動パターンの違い

 思考回路はすべての行動に影響を与える。「閉じた系」で考えるアリと「開いた系」で考えるキリギリスとの間に、どういう行動パターンの違いがあるだろうか? 

 まず、良くも悪くも「枠が与えられなければ動かない」のがアリである。ひとたび問題が与えられれば、それを全力で解決にかかるのがアリであり、その問題としての「与条件」をつねに「ありき」と考えて、これをいっさい疑わない。それが問題解決型のアリの行動パターンの特徴である。与えられた問題をいちいち疑うことは、問題を解決することを遅らせる。だから、アリはとにかく置かれた環境でベストを尽くすことに集中するのである。

 これに対してキリギリスは、枠(巣)があろうがなかろうが気にせずに動き回る。与えられた環境でうまくいかないと考えれば、「環境そのものを変えてしまおう」と考えるのがキリギリスである。だから、今、自分がいる業界や会社がおかしいと思えば、すぐにそこから出ることを考えて別の業界や会社を探し始める。アリにとってキリギリスが「我慢ならない存在」と映るのはそういう理由による。

 アリは「枠そのものを変えられる」ことを好まない。せっかく解きかけた問題に対して努力してきたことが、すべてその時点で無駄になるからである。

 また良くも悪くも「満点(目標とするレベル)」が決まっているので、そこに向けて「何が足りないか? 」を考えるのがアリの発想である。コップに水が8割入っているときに、「満杯までにはあと2割足りない」と考えて、その2割を満たそうというのがアリのDNAである。そうすると必然的に「今あるものにケチをつける」のが得意となる。80点を100点にするときに必要となるのが、こういう行動パターンである。仕事で言えば、他人が作ったたたき台にコメントすることを繰り返すようなことになりがちである。

 これに対してキリギリスは、「コップの上面」はあくまでも仮のものと考えているから、コップを満たすだけでは満足しない。つねに視線は「コップの外側」を向いているから、「別のバケツを用意すれば水はいくらでも入る」と考えるのである。


■ アリとしての日本人の思考回路

 ここまで、問題を解決するために「線を引いて内外を区別する」アリの思考回路と、「線を引かずに考える」ために問題を発見できるキリギリスの思考回路の違いを見てきた。私たち日本人の思考回路は、どちらかと言えば、「ムラ社会」という言葉に代表され、また島国という閉鎖的になりがちな物理的な環境からも、アリ型の傾向が強いことは明らかであろう。

 「鬼は外、福は内」という言葉も、日本人の「閉じた系」の思考回路を如実に表現している。「鬼は外、福は内」とは、決められた線の中に鬼を入れたくはないが、外に出してしまえば問題ないということを暗に示している。極論すれば、枠の中だけが最適化できれば、外には鬼を放ってもいいということである。

 これは「開いた系」の考え方からは想像もできない発想だ。どこにいようが鬼がいるかぎり、その鬼と共存しなければならないからである。

 そう考えると、「決められた枠の中を最適化する」のは、「閉じた系で考える」のが得意な日本人には絶好の勝ちパターンであったと言える。「ガラパゴス」と揶揄されるように、日本独自の進化を遂げている製品やサービスに関しても、「日本以外では通用しない独自仕様」という負の側面が強調されがちであるが、「枠の中の出来映えは非常に優れている」という強みもある。自動車や電機製品などでも「製品」というある程度の「外枠」が与えられたときに、それを最適化するのが典型的な勝ちパターンであったことも、日本人の得意とする思考パターンからすれば、十分にうなずける話である。これまでは「閉じた系」の強さと弱さの両方が現れていたのではないか。

 今後のビジネスを考えるうえでのキーワードとして、「グローバル化」や「ソーシャル」といったものが挙げられる。これらはいずれも「開いた系」を前提とするものである。またICT(情報通信技術)の世界を中心に「クラウド」や「プラットフォーム型のビジネスモデル」といったものの重要性が高まってきているが、これらは「線を引き直す」発想が求められるものである。こうした観点からも、これまで以上に従来は日本人が相対的に苦手としてきた「キリギリスの思考」が重要になってきていると言えるだろう。

 次回は3つめのポイントである「固定次元」と「可変次元」の発想の違いについて解説する。
細谷 功
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